プロフィールと理念

 

なんだこれ・・・・

呼吸がしずらいし・・・

圧迫感・・・?

・・・強烈な不安で・・・

頭がおかしくなりそうだ・・・・

 

 

いてもたってもいられなくなり部屋から転がるように外に飛び出し、気が付いたら肩で激しく息をしていた。

 

呼吸が落ち着くまで数分?数十分?かかっただろうか。   自分の中では強烈な不安感と目まぐるしい息苦しさが何時間にも感じられ、生きた心地がしなかった。

 

やっと呼吸も落ち着き、なんとなく空を見上げ、

 

 

私はいったい・・・

どうなってしまったんだろう・・??

なんだこれは・・??  

 

 

そのときは取り乱しており自分の中に起きたことがわからなかったが、いわゆる、

 

『パニック発作』

 

が起きた瞬間だった。

 

当時はサラリーマンを辞めて2年が過ぎ、心理カウンセラーとして歩むべく専門学校に通っていた頃。   座学と実践教育で知識や理論、カウンセリング体系などを学び、多くを吸収していた時期だった。  

 

その後、パニック発作の強烈な怖さと不安で身体がこわばり、軽い予期不安を感じながらも日常生活に戻っていった。   

 

怖さに陥ったパニック発作のことも記憶から段々と薄れていき、約2年間の充実した専門学校での学びも終わった。感謝の気持ち、そして清々しい気持ちで心理カウンセラーとして踏み出せると期待に胸が膨らむ。

 

しかし、それからまた数年後、また同じ怖さが私を・・・・・

 

 

 

はじめまして。

パニック障害専門心理カウンセラーの三木ヒロシと申します。

 

 上記の物語は私自身のことであり、数回にわたるパニック発作の経験者でもあります。

 

ですが、その当時はすでにカウンセリング理論や知識を得ていたので自己改善法でパニック発作を克服し、パニック障害に繋がることはありませんでした。

 

私は30代の前半までとある人材派遣会社のサラリーマンをしていましたが過労のため社内で倒れ、その後救急搬送され自宅療養が数日続き、その時に読んだ新聞のコラム「心理カウンセラーとは」に心を惹かれ会社を退職し、現在は、

 

パニック障害専門心理カウンセラー

 

として独立開業しています。

おかげさまで心理カウンセラー歴15年となり、これまで約8,000人ほどのパニック障害や不安症で苦しんでいる方たちに対しカウンセリングを通し完治や改善のお手伝いをしてきました。

 

※パニック障害専門心理カウンセラーとしてなぜ活動しているのか?という理念についてはこちらをご覧ください。

▶心理カウンセラー三木ヒロシの理念

 

とてもありがたいことにパニック障害や不安症などの心の病を完治、改善した元クライアントさんから感謝のお手紙もよくいただきます。

 

※いただいたお手紙のほんの一部です

 

 

 

 

私がサラリーマンとして会社勤務をしていた時、夢も希望もなくただ漠然と働いていましたが、ちょうど人材派遣会社が伸び盛りの頃だったので忙しさだけは人三倍はありました。  

 

・毎日朝5:30には会社に出勤し、帰宅は早くて22時過ぎ、遅いと深夜1時くらい

・仕事終わりが深夜になると帰る気力が無いので会社に寝袋を持ち込み泊りこみ

・休日は2週間に一度くらい、貴重な休日もあまりに疲れ過ぎていてただ寝るだけ

・月一回の社内会議において社長からのパワハラは当たり前、「営業成績上げられないんだったらその窓から飛び降りろ!!」などは日常茶飯事

・食事の時間がどうしても不規則になり外食が多くなったため体重が10キロ増加

・寝る時間も休む時間もままならないので免疫が下がり風邪が2か月くらい治らないという不健康状態に

・常に目は充血し顔色は悪く、派遣スタッフからも心配の声が上がる

 

 

などなど、いま思い出しても気持ちが暗くなるようなサラリーマン時代でした。  

 

やはり人間なのでこのような生活が何年も続くわけがなく(それでも5~6年はやってました)、ある時急に身体に力が入らなくなりその場で倒れ、救急車で搬送されました。  

 

そのとき生まれて初めて救急車で運ばれましたが、運ばれる車内の中、  

 

「私はいったい何のために仕事をしているんだろうか、、、、」

「いまのこの人生はいったい何なのだろう、、、、」

「無理してここにいても、何も変わらないのでは、、、」

 

というような思いが溢れ、初めていまのこの働いている状況はおかしいと疑問を持つようになりました。  

 

その後、数日間は自宅療養のため数年ぶりにゆっくり過ごすことができましたが、たまたま目に入った新聞記事で心理カウンセラーという職業の特集をしていました。

 

学生の頃から心理学や心とはなにか?など強い興味があったので、その記事を夢中で読んでいる自分がいました。   読み終わったとき胸のなかに沸いた強い気持ち、  

 

「心理カウンセラーになりたい」  

 

という思いはいまでも忘れはしません。   数日後、自宅療養が終わり会社に復帰しましたが心理カウンセラーへの憧れは忘れられず、会社に復帰後わずか2日ほどで退職届を提出していました。  

 

その後紆余曲折あり思うように退職できませんでしたが、なんとか半年後に無事に退職することができ、憧れの心理カウンセラーになるべく専門学校の扉を叩きました。  

 

この瞬間から『心理カウンセラー三木ヒロシ』としての人生がスタートしました。

 

【三木ヒロシのプロフィール年表】

 

0才 大型トラック運転手の父親と専業主婦の母親との間、神奈川県川崎市に生まれる。10才上の姉、8才上の兄がおり末っ子。

 

3才 父親の仕事の同僚と母親の不倫が発覚し、結果母親が家を出ていくことに。小さかった自分は何が起きたか理解できず、泣きじゃくる姉と兄の姿を見て悲しくなり自分も泣きじゃくる。親権を父親が勝ち取り、新たに4人での生活が始まる。

 

4才 トラック運転手の父親の帰りは遅く、姉も兄も勉強や遊びで忙しく幼いながら一人の時間が増えていく。誰もいない心細さと強い孤独感、不安感から三輪車に乗り約4キロ離れた親戚の元に記憶を頼りに向かう。親戚は4才の私が三輪車に乗り一人で来たことに大変驚いたが温かく迎え入れてくれ窮地を脱する。数時間後に父親が迎えに来てくれ、安心感を感じながら帰路につく。その後も数回三輪車で親戚宅に向かった記憶あり。

 

7才 小学校に入学。慣れない環境から口数が少なくあまり目立たない存在に。入学して間もないので友達もできず、寂しさや孤独感が増してしまい学校内で何度か泣いてしまう。徐々に環境に慣れてきたがもともと引っ込み思案な性格のため最小限の友達ができる。

 

8才 小学2年生になった頃、少し離れた同じ川崎市内の市営団地に引っ越す。ひとり親であり子どもを3人を育てていた為優先的に市営団地の居住許可が下りる。引っ込み思案だった性格も少し影を潜め友達も増え色々と遊び楽しく毎日を過ごす。成長期でありご飯やお菓子をたくさん食べた結果、ちょっとした肥満児となる。

 

13才 地元の中学校に入学。中学校に入ってもちょっとした肥満児は変わらず。中学校という新しい空気に慣れるため様々な部活を見て回るが入部までは至らず。ある日仲良くしていた同じ市営団地の友達が6人制バレーボール部に入部することを聞き、入部を即決。顧問の先生からも親からも出来るのか?続けられるのか?と心配されながらも入部の許可が下りる。バレーボール部はかなり厳しい指導方針だったため、入部初日に頭を丸刈りにされる。入部してから部活がメインの生活となる。

 

14才 先生や親の心配をよそにバレーボール部を辞めることはなくひたすら厳しい練習に耐えていった結果、身体は引き締まりスポーツ選手体形となる。部活において上下関係や言葉遣い、礼儀などを学ぶ。

 

15才 部活で忙しい日々を過ごしてきたが中学3年生になっても努力の甲斐なくレギュラーにはなれず。だが普段の練習の姿勢が評価され7番目の選手として祈念にユニフォームをもらう。部活中心で来たため勉強もろくにしておらず、高校進学は前途多難を極める。

 

16才 なんとか川崎市立の公立高校に合格、高校生としての生活がスタートする。その高校もある程度バレーボール部が強かったため、気持ちを新たに入部を決意する。中学と違い上下関係はさらに厳しく、バレーボールを通じ社会ルールを学ぶ。人数が少なかったためいきなりユニフォームを渡され補欠としていくつかの試合に出場する。

 

18才 気がつけば高校3年生。部活を引退し進学か就職か?という進路について考える。この辺りから社会に縛られることに違和感を覚え、担当教師には色々言われたが進学も就職をせずフリーターという道を選ぶ。

 

19才 後々サラリーマンとして所属することになる派遣会社に登録し、倉庫内作業員としてアルバイト勤務し社会人1年目を迎える。社会人としてのルールや厳しさ、お金を得る大変さを学ぶ。

 

23才 派遣登録していた会社の部長から勤務態度などを評価され、社員として働かないか?というお誘いを受ける。評価されたことが嬉しく、また安定した働き方を求めていたため社員への誘いを受ける。倉庫勤務が長かったのでそのまま現場社員として各アルバイトの勤怠管理や新規アルバイトの採用面接、元請け会社とのやり取りなどアルバイトとは全く違う責任ある仕事を任される。その後も違う倉庫に異動し様々業務に従事する。

 

29才 部署異動となりこれまでの倉庫を離れ都内の営業所に所長代理として栄転。作業着からスーツ姿となり新しい毎日を過ごす。徐々に任される業務も責任あるものとなり、プレッシャーを感じながらも日々の忙しさに忙殺される。

 

32才 朝は5時くらいから夜は22時、ひどい時は深夜の1時過ぎまで仕事をこなす。日々の忙しさから免疫が落ち、普通の風邪も2か月くらい治らないほど身体面、精神面に負担がかかり派遣社員からも心配される。6月頃これまでの忙しさが災いし、とうとう会社内で倒れ救急車で緊急搬送される事態に。救急車で運ばれながら自分の人生について初めて深く考える。療養中に読んだ新聞での心理カウンセラー特集に感銘を受け、自分の新たな人生を模索し始める。療養期間が終わり出社を開始した数日後、退職願いを提出する。

 

33才 退職願いがなかなか受理されなかったが新しい年の2月にようやく受理される。部長から新しい営業所の所長に推薦したいという声をいただいたがこれを辞退し退職。心理カウンセラーへの気持ちはますます熱くなり、4月に望んでいた心理カウンセラー養成の専門学校に入学。気持ちを新たに座学や実践形式にて心理カウンセラーを学ぶ。

 

34才 引き続き専門学校にて学んでいたが、ある日家にいるとき何とも言えない不安感と怖さで過呼吸状態となり、家から転がるように外に飛び出す。肩で息をしながら何が起きたかまったくわからないパニック状態となる。後にこの状態がパニック発作であったと理解する。

 

36才 約2年と半年学んだ専門学校を卒業。これからの未来に胸を膨らませながら生活している最中、ある日再度パニック発作が起こる。過去の恐怖がよみがえってきたがまずは落ち着き呼吸を整え、自己改善法にてパニック発作をやり過ごす。改めてパニック発作の苦しさ、辛さを経験したことでしばらくは不安定な気持ちのまま日々を過ごすが、その後再発はなくパニック障害には陥らずに済む。自己分析した結果、将来への不安がパニック発作を引き寄せたことを理解、毎日の生活に自己改善法を取り入れパニック発作を克服する。

 

37才 カウンセリングオフィス「ハートウォーミングセラピー・スウィーニー」開業。プロの心理カウンセラーとして第一歩を踏み出す。

 

38才 過去の自身の経験からコンセプトを「パニック障害専門心理カウンセラー」へと変更し、パニック障害の専門家としてブログなど様々なメディアを運営し徐々にパニック障害の専門家として信頼されるまでになる。

 

41才 埼玉県4市合同の大規模な講演会に講師として招かれる。「会社経営と社員のメンタルヘルス」と題し講演会をおこない、約200名近い様々な経営者と繋がりを持つ。それ以降各地の大小様々な講演会に講師として招かれる。

 

42才 埼玉県のFMラジオ局に心理カウンセラーとして出演。心理カウンセラーのこと、心の病のこと、心理学など約20分間お話する機会をいただく。

 

43才 心の病やパニック障害についての講演会や講座などを提供する機会が増え、時期を同じくして話の聴きかた(傾聴)、心理カウンセラーを育成する講座、、心理カウンセラーとしてのビジネス講座、心理学勉強会なども有志により立ち上がり、講師としての活動も増える。

 

44才 都内にある大手企業からクレームに対するマネージャー研修の依頼を受け、心に傷を受けたときの気持ちの保ちかた、自分を癒す方法、心の仕組みなど約40名に講義する機会に恵まれる。その後同社にて社内専属カウンセラーとしての依頼を受ける。

 

51才 日々のカウンセリングはもちろん、様々な講演会や講座、研修会も精力的に実施。様々なメディア運営を通しさらにパニック障害の専門家として活動を深め専門性を高める。妥協せずこれからもパニック障害や心の病に苦しんでいる方々の気持ちに寄り添い続けるよう邁進中。    

 

と、けっこう長々と綴ってきましたが、これが私の年表です。  

 

上記の年表でも記しましたが、私が初めてパニック発作を経験したのは過酷なサラリーマン時代ではなく、期待と希望に胸を膨らませていた専門学校時代でした。  

 

サラリーマン時代はどちらかというと鬱傾向にあり、パニック発作が起きた精神状態とはまた違う精神状態だったと今は分析できます。   散々苦しんだサラリーマン時代ではなく意気揚々とこれからの未来に期待を寄せ、学びに集中していた時期に起きたパニック発作。  

 

ここから言えることは、苦しくても楽しくても何らかのトリガー(引き金)によってどのような人でもパニック発作に陥ってしまうということです。  

 

「不安」という感情は人間が持つ正規の感情の1つなので、大なり小なり人は心のどこかで不安を感じています。   いかに今がハッピーであっても楽しくても気持ちが良くても、少しのことで不安に心奪われパニック発作は起きるのだなと痛感しました。  

 

いま現在、私はパニック発作を完全に克服し、ありがたいことに毎日カウンセリングに従事することが出来ています。  

 

北は北海道から南は沖縄まで、ご依頼があれば電車やバス、飛行機、夜行バス、レンタカーなどあらゆる交通機関を乗り継ぎクライアントさんのご希望場所まで出張カウンセリングを承っています。  

 

何の不安もなく躊躇もなく自分を止めるものもなく、自由自在にあらゆる都道府県に訪問しています。  

 

普段のカウンセリングルームにいるだけでは味わえないその地域の街並みや空気感、気候、風土、その地域の方々の朗らかさなど。   ご依頼をいただいたカウンセリングもそうですが、たくさんの経験をすることができ、とても幸せな気持ちでパニック障害専門心理カウンセラーという職業に従事しています。  

 

いまこれを見ているあなたも、普段から感じている不安や怖さから逃れ、何からも縛られることなく自由自在に行きたいところに行き、楽しむことができ、食べたいものを食べ、見たいものを見るといった当たり前の幸せを手に入れることができます。  

 

正しく完治/改善する方法を理解し、諦めず焦らずゆっくりでも確実に道を進み続けることで辿り着きたいゴール、辿り着きたい未来に行き着くことができます。  

 

私はパニック障害専門専門心理カウンセラーとして、そんなあなたを心から応援しています。

 

【心理カウンセラー三木ヒロシの想い】

 

「パニック障害」という心の病は最近、数多くの芸能人や有名人、スポーツ選手のカミングアウトなどによりかなり一般的な名称となってきました。  

 

ですが、「パニック障害」についての正しい知識や情報など世間一般にはまだまだ認識されておらず、

 

“治りづらい・治りにくい・完治しない心の病”  

 

という誤った情報が溢れ、適切な改善法や改善への進みかたを見つけられず「パニック障害」に苦しむ人を長年生みだしているのもまた事実です。  

 

しかし、適切な改善法や改善への道筋を理解し、それを実践していくことで『比較的短い期間でも改善していくこと』もまた事実です。  

 

パニック障害を適切に改善していく、改善への道を歩んでいくには《知らなければならない3つの柱(マインド)》があります。  

 

それは、

 

■不安や怖さが強く湧きあがっても前にすすみ続ける勇気を身につける
■“改善をあきらめない”という強い信念を身につける
■「わたしには改善できるチカラがある」という自信を身につける

 

 

というものです。   上に記した3つの柱(マインド)は大切であり重要なポイントですが、難しく考える必要はありません。  

 

焦らずに1歩ずつ1歩ずつ歩みだしていけば、おのずと身体が理解しマインドセットされていくものですので。   私はこのようなパニック障害改善へのマインドをカウンセリングを通し、

 

・パニック障害専門家としての立場
・パニック障害の当事者としての立場
・パニック障害の当事者のご家族や友人、知人としての立場

 

からお伝えし、パニック障害改善がより良くすすんでいく道筋を作っています。  

 

パニック障害を改善させるための『知識』『マインド『ノウハウ』『テクニック』『コツ』など全て吸収していくのは時に苦痛を伴い時に苦しく、時に止めてしまいたい気持ちになるかもしれません。

 

ですが、それでも1歩ずつゆっくり確実にすすんでいくことで必ずあなたが目指したいゴールに辿り着けます。  

 

パニック障害の専門家から正しい知識、情報、カウンセリング手法を受けてみることで、何の恐れもなく自由に羽ばたいていくことが可能になります。  

 

あなたが目指したいゴール、辿り着きたい目的地に共に歩んでいくことが、パニック障害専門カウンセラー三木ヒロシの役割です。

 

>>よろしければこちらもどうぞ<<
↓↓↓↓↓↓↓

▶心理カウンセラー三木ヒロシへ100の質問

 

【三木ヒロシの役職/資格/キャラクターについて】

 

  【役職】カウンセリングサービス オフィス・スウィーニー代表

《保有資格など》

・一般社団法人日本産業カウンセラー協会 認定産業カウンセラー
・敬愛カウンセラー学院認定 メンタルバランス・マネジメント
・大阪商工会議所認定 メンタルヘルス・マネジメント二種
・埼玉こころの育み活動団体ゆっくりのんびりの会 認定講師
・メンタルサポート活動団体エクステンド横浜 認定講師
・埼玉県、都内にて企業内専属カウンセラー

【生年月日】  1972年12月7日

【性別】    男性

【出身地】   神奈川県川崎市

【趣味】    読書、ネットサーフィン、散歩、料理、アーシング

【特技】    人の話を聴くこと、笑顔

【性格】    穏やかで朗らか、怒らない、人に気を使う

【好きなもの】 キレイな景色、新緑の匂い、男女問わず優しい人、お酒

【苦手なもの】 気が短い人、威張る人、タバコ、ホラー映画

【ストレス解消】好きな音楽を大音量で聞く、美味しいお酒を飲む

【カウンセラーになった理由】生き辛さを感じている人に、生まれてきた喜びを感じて欲しいという願いから

【座右の銘】  一生懸命

【家族構成】  妻が一人、子どもはおりません

【カウンセリングルームの所在地】

東京都府中市本町2-19-33 カーサ・デラエスペランザ303

カウンセリングルームの詳細はこちらから

 

三木ヒロシが心理カウンセラーを続けていく理由とは?

私がこれからもパニック障害専門心理カウンセラーとして活動していくのには大きな理念があります。

詳しくはこちらをご覧ください。

▶心理カウンセラー三木ヒロシの理念

 

↓↓カウンセリング・メニュー↓↓